kamonohasiyukio3’s blog

定年あるある、を記しています

定年一年生日記 ②

役職定年

 定年少し前に役職から外れた。この時点では役職手当はなくなったが、基本給は変わらなかったので、世間でいうところの年収が半分になるとかそういうことはなかった。だが、仕事が劇的になくなり、毎日会社へ行っても机に座ってパソコンを眺め、ときどき出る必要もない会議に出るというのが日常になった。伝票の取りまとめや誰かがやらなくてはならない資料づくり、という仕事もあったが、ひと月のうちせいぜい一週間、それも一日のうち二時間程度やれば片付いてしまう。あとはひたすら待機だ。

 こういう状況におかれているのが、もし自分だけだったら、なんらかの行動を起こしたかもしれない。もう組合とは関係ないが、組合の幹部に話をきいてもらうとか、あるいは会社の人事に相談するとか。でも、見渡せばそんな感じの同期や一、二年先輩はいくらでもいる。そのうちの何人かは、要領がいいのか肝が据わっているのか、朝会社に来ると行き先を都内各所などと書いて姿をくらます。会社の外で何をやっているのかは知らない。役職定年者同士が顔を合わせても、「仕事がない」という愚痴は口にしないのが普通だった。そんなルールがあるわけではないが、少なくとも自分は「仕事がない」という愚痴を同期にいいたくはなかった。もしそういうことを話す奴がいたら「実はおれも」と意気投合したかもしれないが、定年までそういう出会いはなかった。自分で心を開かなかったから、といわれればそうかもしれない。だが自分は役職定年でありながら、ばりばりと仕事をこなしている人間の話など聞きたくなかったから、黙っていたのだ。

 ネット記事を見ると、自分のように定年前に仕事を失った会社員のモチベーションの低さを嘆いたり、叱咤したり、馬鹿にしたりするものがずいぶんとあった。仕事をせずに働き盛りの若い連中より給料がいいのはけしからん、という気持ちはよくわかる。自分も若いときは定年前の先輩をそういう眼で見ていただろう。だが、あのころの先輩たちは、「自分は今までめちゃくちゃがんばったんだから、今は少しくらい楽してもばちが当たらない」と開き直っていたような気がする。朝来て会社でとっている新聞を広げ、仕事を始めている後輩に向かって政治経済プロ野球について蘊蓄を垂れ、昼休み30分前にはオフィスを出て昼休憩終了時間から1時間はたっぷり過ぎてから戻ってくるとすぐ午後のお茶だ。ときどき姿を消していたのは、会議に呼ばれたのかさぼってパチンコにでも行ったのか。そういえば、自分が若いころ、勤務時間でも平気でパチンコ屋に出入りしている先輩がいておどろいたことがあった。

 古き良き時代といってしまえばそれまでだが、自分だって若いときはそれなりの仕事をこなしてきたという自負はある。だが今の世の中、昔どんなに頑張ったとしても、ただそれだけでは楽に暮らしていいとはいわれない。

 模範的な役職定年者の姿、というのがネットあった。

 けっして出しゃばらず、仕事先の情報をこまめに後輩に教え、たまに取引先との商談についていき、後輩を持ち上げて仕事を円滑にすすめ、現場が忘れていたようなはっとするアイデアを披露する。手柄はもちろん後輩にゆずる。手が空いたときは、自分の過去の仕事から得られた教訓をマニュアルに落とし、誰もが見られるように準備をしておく。職場で予想外のトラブルが発生したらそのときこそ彼の出番だ。眠れる獅子が目を覚まし、昔一度だけ出あった似たようなトラブル例からたちどころに解決策を編み出し、みずからが先頭に立って処理にあたる。危機が過ぎ去ったら、何ごともなかったかのように昼行燈に戻る。後輩たちの、「あの人、いつも何してるんでしょうね」という陰口など、耳に入っても気にしない。同期の役員は、「あいつにだけは一目置いているんだ」などと部下に語ったりすることもある。そんな役職定年者に、自分だってなれるものならなりたい。

 普通に考えれば、こんな技のできる人間は、役職定年になる前に役員になるか、悪くても関連会社の役員クラスで出向しているだろう。大部分の役職定年者は、いざというときに役に立つ知識なんぞというものを持ち合わせてはいない。過去の経験は、経験したということしか意味がなく、そこでの知見が生きるようなお気楽な業界は今の世の中どこを探したってあるはずがない。あったってきわめてニッチな業種だろう。そしてたぶん、そういう業界に役職定年は存在しない。

 役職定年の辛いところは、昨日までの部下に命令されることだ。これに慣れろとどの定年本も定年記事もいうけれど、ことは「〇〇さん、これお願いします」と指示されるだけではないのだ。明らかにどうでもいいがやらねばならない仕事をやれ、といわれるのはまだいい。その仕事の結果が、自分では満足いったと思っても、後輩上司にだめだしされる、これが辛いのだ。明らかに自分が間違っているものや、そもそも初めてやることならいざしらず、昨日までは自分でよしと思っていたやり方を、それではだめだ、と過去の自分の仕事も含めて否定されるのはこたえる。AとB、どちらでもいいが自分はAがいいと思った、だが後輩上司はBを進める。はい、そうですかと素直に聞けるのは最初のうちで、そのうち自分で考えるのがばかばかしくなる。だが、後輩上司は生真面目にいうのだ。「〇〇さんなら、どちらがいいと思いますか」と。どうせ結果は決まっているのに。

 有り余る有休休暇の取得だって、後輩上司にはいい出しづらい。さらにコロナで在宅勤務なるものが始まり、一日の勤務日報を毎夕報告しなければならない。会社にいてもやることがないのに、家にいて仕事などあるはずもないが、「何もしませんでした」とは書けないから「過日の資料整理」とか「新規事業に向けての情報収集」、要するにネットを眺めてましたと書いてメールしないと一日の仕事が終わらないのだ。その返信、「在宅勤務お疲れさまでした」と短く記された後輩上司の心中が手に取るようにわかってしまう。「まったくの無駄だ」と。

 ならば家にいる間は有休休暇扱いにしようと思って申請すると、他の課員とのバランスもあるので、とやんわり牽制される。有給取得に理由はいらないなどと粋がっても後輩上司の辛い立場もわかるから、結局取るのをためらってしまう。かくして開店休業在宅勤務とうそで固めた日報の提出を続けることになり、こういうことをしている心はどんどんだめになっていく。

 

再雇用

 

 これが再雇用者となるとまたちがう要素が生じる。彼ら彼女らは現役のときの半分どころか三分の一程度の収入しか保証されていない(自分の勤めていた会社の場合)。なぜそうなっているかといえば、もともと年金支給繰り延べの穴埋めとして制度がスタートしたから、厚生年金で受け取る金額以上を払うという発想が会社になかったのだ。

 元々は六十になれば受け取れていた額と同じものをもらうと思えば、少なくない人間は、「本来は何もしなくてももらえたものなのだ」と考えるのではないか。だとすれば、それに見合う労働に、あまり大きな期待をしてもらっても困る、というのが本音のような気がする。

 実際、うちの会社の再雇用の仕事は、それまでは学生バイトがやっていたようなものがほとんどだ。書類のデジタル化、という内容で、朝から晩まで、ファイルされた資料をスキャナーで読み込む仕事。サイバーパトロールという業務で、会社の名前が出てくるネット記事をひたすらコピーしてドキュメントに張る仕事。実は会社を検索する仕事はちゃんとした調査会社に依頼しているから、再雇用者のやっている仕事は収容所でやらされるという、あとで埋めるための穴を掘る作業と変わらない。成約をまったく期待されないテレホンアポイントメント、というのもあった。コールセンターのシビアな通話タイムチェックのようなものはなく、一日のノルマは5件。相手がすぐに電話を切ってもカウントは一回となるから、でたらめに番号を押して会社名を名乗って相手が切ることを5回繰り返せばノルマ終了となる。この業務は、いい加減に電話をする人のせいでなく、生真面目に過去の取引先に電話をかけ続けた再雇用者がいて、その取引先からのクレームで業務そのものがなくなった。

 再雇用の制度が始まって十年以上立つから、現役のころに再雇用で働く人はずいぶんと見た。定年までヒラ社員だった人は、再雇用でもなじんでいたように見えたのは、もしかしたらこちらに彼らを軽んじる気持ちがあったからかもしれない。部長などの役職につき、役職定年で無役となった人が再雇用で社内の備品管理などやっていると、見ているほうが辛かった。一方で、開き直ったように机に仕事とは無関係な資格の本などを持ち込み、昼になると現役のかつての部下に声をかけてランチに出かけ、夜には社外のかつての取引先と飲みにいって請求書を部下に回すような強者は、再雇用制度が始まって数年の間に姿を消した。本人の雇用期間が満了になったこともあるが、その姿を見て真似しようと思うものが続かなかったのだと思う。

 定年前になると、再雇用者に目が行く。彼ら彼女らの仕事ぶり、一日の過ごし方や現役の社員との接し方、ネクタイから解放された服装や身の回りのものをしまう鞄などが、気になりだす。自分は、ああいうように生きられるだろうか。ああいう生き方がしたいのだろうか。今自分が見ているように、将来の自分を後輩たちが見ることを、自分は受け入れられるだろうか。監督者の立場にある現役社員に、何か仕事がないですか、ときき、では会議用の資料をこれだけの部数、明日までに用意してもらえますか、と指示され、その仕事は自分のやる仕事ではありません、ほかになにかないですか、と自分の納得のいく仕事が与えられるまでねばる再雇用者にはなりたくないが、はいわかりましたと引き受けたコピー仕事が、帳合の方法をまちがえて会議の直前に若手によって全部作り直されるのも切ない。

 コロナで仕事を失う人の多い昨今でも、会社を辞めたいといってもなかなかやめさせてもらえない人はけっこういるだろうが、再雇用者にもそういう人は多いのだろうか。自分の知る限り、明日辞めますといって止められた例はあっても、一年ごとの更新時に、来期は更新を希望しませんといって、引き止められた再雇用者はいなかった。このことが再雇用の実態を物語っているように思う。

定年一年生日記 

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ムショく暮らし四か月

 

令和三年の一月末で退職して、丸四か月が過ぎた。

コロナ禍で予定していた友人との飲み会や国内をあちこちと見て回るささやかな楽しみはお預けになり、基本的には毎日家にいてネットに向かうかキンドルで見放題の映画やドラマを見て過ごしている。

自分が退職したというと、みな「まだ若いでしょう」とか「何するんですか」ときく。一応定年の年なので満六十歳を越えているが、今の日本はこの年で働くのを止めると「悠々自適でいいですね」と羨ましがられる。うなるほどの貯金があるわけではないし、年金が普通に支給されるまであと5年はあるのも確かだが、幸い家のローンも終わり、母を昨年見送って、子どもたちも家からは出て行かないがすでに働いている。計算上はよほどの贅沢をしなければ年金が出るまで食いつないでいくことはできそうだから、会社から提示された再雇用はお断りして身軽になった。しばらくは身辺整理や記憶の棚卸をしながら、働ける仕事があるか探そうと思う。

金がかかる趣味といえば下手なゴルフをやるが、これも月に一回平日にラウンドすればいいほうで、昨年はコロナで全然コースには行かず、ときたま練習場で一時間過ごすくらい、田舎にいるおかげでそんなにボール代もかからない。

自分よりも十年も上の先輩は、会社を定年で辞めた後、三年だけ再雇用で働き、それも終わると奥さんと何度か海外旅行へ、それもビジネスクラスを使って出かけ、会社を辞める直前に千葉の房総に立てた別荘へ通って好きな釣りに打ち込むという羨ましいシニアライフを送ったが、昨年がんであっけなく逝ってしまった。まだ遊び足りなかっただろうと思う。普通に再雇用で会社に残った同期連中と袂を分かって自分が退職したのは、その先輩の死にも影響された。

年金をたくさんもらうために七十まで働け、という法案が通ったらしいが、この年になるといくら健康に気をつけて、毎年人間ドックにかかっていても、いつどうなるかわからない。コロナで死ぬ人は高齢者が多いと聞くが、最近では変異株のせいで若い人でもすぐに重症化するという。ワクチンがきけばいいが、これだけ変異株変異株といわれると、すぐに新しいコロナのような病気が流行るかもしれない。人それぞれだと思うが、若いうちならいざ知らず、六十を越えて、七十、八十の余生を楽しみに、好きでもない、楽しくもない仕事を続ける気に自分はなれなかった。

 定年後の生き方を指南する本、というのが世の中にはたくさんあって、定年の少し前からいろいろと手に取った。

 その多くは、「六十の定年以降も働け」

       「再雇用で必要とされるスキルや、人間性を磨け」

       「少しでも財産を増やすように、失敗しない範囲で投資をしろ」

 と書いてある。

 「定年後は好きなように生きろ」と書いてあったのは、勢古浩爾氏の『定年後のリアル』シリーズくらいだ。

 ほかの本では、帯やあおりで「働くのも遊ぶのもあなた次第」と書いてありながら、中身はひたすら再雇用、再就職、起業のすすめばかり、というものが多い。

 定年後は自由に生きろ、あとは知らん、では無責任と思うのかもしれないが、再雇用でも再就職でも、仕事をしろと薦めておきながら、満足できる仕事を得るには定年前の準備が欠かせません、といわれては、定年者は立つ瀬がない。もう過去に戻ることはできないのだ。ギャンブルですっからかんになったあとで、賭け事はしないようにしましょうとアドバイスされるのと同じだ。いや、同じとまではいかないか。

 とにかく、再雇用も再就職も思うようにいかない人間は、じゃあどうしたらいいのか、という処方箋が欲しくて、定年者はこうした本に手を伸ばすのではないか。残念ながら、自分には「もう手遅れです」といわれているようにしか思えない。