kamonohasiyukio3’s blog

定年あるある、を記しています

定年一年生日記 

f:id:kamonohasiyukio3:20210601215257j:plain


ムショく暮らし四か月

 

令和三年の一月末で退職して、丸四か月が過ぎた。

コロナ禍で予定していた友人との飲み会や国内をあちこちと見て回るささやかな楽しみはお預けになり、基本的には毎日家にいてネットに向かうかキンドルで見放題の映画やドラマを見て過ごしている。

自分が退職したというと、みな「まだ若いでしょう」とか「何するんですか」ときく。一応定年の年なので満六十歳を越えているが、今の日本はこの年で働くのを止めると「悠々自適でいいですね」と羨ましがられる。うなるほどの貯金があるわけではないし、年金が普通に支給されるまであと5年はあるのも確かだが、幸い家のローンも終わり、母を昨年見送って、子どもたちも家からは出て行かないがすでに働いている。計算上はよほどの贅沢をしなければ年金が出るまで食いつないでいくことはできそうだから、会社から提示された再雇用はお断りして身軽になった。しばらくは身辺整理や記憶の棚卸をしながら、働ける仕事があるか探そうと思う。

金がかかる趣味といえば下手なゴルフをやるが、これも月に一回平日にラウンドすればいいほうで、昨年はコロナで全然コースには行かず、ときたま練習場で一時間過ごすくらい、田舎にいるおかげでそんなにボール代もかからない。

自分よりも十年も上の先輩は、会社を定年で辞めた後、三年だけ再雇用で働き、それも終わると奥さんと何度か海外旅行へ、それもビジネスクラスを使って出かけ、会社を辞める直前に千葉の房総に立てた別荘へ通って好きな釣りに打ち込むという羨ましいシニアライフを送ったが、昨年がんであっけなく逝ってしまった。まだ遊び足りなかっただろうと思う。普通に再雇用で会社に残った同期連中と袂を分かって自分が退職したのは、その先輩の死にも影響された。

年金をたくさんもらうために七十まで働け、という法案が通ったらしいが、この年になるといくら健康に気をつけて、毎年人間ドックにかかっていても、いつどうなるかわからない。コロナで死ぬ人は高齢者が多いと聞くが、最近では変異株のせいで若い人でもすぐに重症化するという。ワクチンがきけばいいが、これだけ変異株変異株といわれると、すぐに新しいコロナのような病気が流行るかもしれない。人それぞれだと思うが、若いうちならいざ知らず、六十を越えて、七十、八十の余生を楽しみに、好きでもない、楽しくもない仕事を続ける気に自分はなれなかった。

 定年後の生き方を指南する本、というのが世の中にはたくさんあって、定年の少し前からいろいろと手に取った。

 その多くは、「六十の定年以降も働け」

       「再雇用で必要とされるスキルや、人間性を磨け」

       「少しでも財産を増やすように、失敗しない範囲で投資をしろ」

 と書いてある。

 「定年後は好きなように生きろ」と書いてあったのは、勢古浩爾氏の『定年後のリアル』シリーズくらいだ。

 ほかの本では、帯やあおりで「働くのも遊ぶのもあなた次第」と書いてありながら、中身はひたすら再雇用、再就職、起業のすすめばかり、というものが多い。

 定年後は自由に生きろ、あとは知らん、では無責任と思うのかもしれないが、再雇用でも再就職でも、仕事をしろと薦めておきながら、満足できる仕事を得るには定年前の準備が欠かせません、といわれては、定年者は立つ瀬がない。もう過去に戻ることはできないのだ。ギャンブルですっからかんになったあとで、賭け事はしないようにしましょうとアドバイスされるのと同じだ。いや、同じとまではいかないか。

 とにかく、再雇用も再就職も思うようにいかない人間は、じゃあどうしたらいいのか、という処方箋が欲しくて、定年者はこうした本に手を伸ばすのではないか。残念ながら、自分には「もう手遅れです」といわれているようにしか思えない。